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奥琵琶湖レイクシア周辺情報

【彦根城編】GFC奥琵琶湖から行ける、大河ドラマゆかりの地

琵琶湖の北に位置するGFC奥琵琶湖レイクシア。車はもちろん、鉄道でも琵琶湖を1周することができます。

滋賀県は古都・京都に近く、琵琶湖はもとより東海道や北国街道が通る要所ですので、歴代の大河ドラマにも数多くのゆかりの地があります。

本稿では今回から3回に渡り、GFC奥琵琶湖から行ける大河ドラマゆかりの地をご紹介。琵琶湖をぐるっと1周してゆかりの地を巡ってみましょう。

 

井伊家ゆかりの「彦根城」

第1回でご紹介するのは、滋賀県・彦根市の象徴、「彦根城」

井伊家はもともと静岡県西部、現在の浜松市北部の井伊谷出身ですが、大河ドラマにもなった井伊直虎の義理の息子である井伊直政は幼少の頃から徳川家康に気に入られ、仕えてきました。彦根藩の藩祖・井伊直政は、彦根城の完成を見ることなくこの世を去りました。

 

彦根城の周辺

彦根市は琵琶湖の北東に位置する県内の主要都市です。GFC奥琵琶湖レイクシアから彦根城へは、高速道路を使って45分くらいです。鉄道ならJR彦根駅から歩いて10分です。駅前には井伊直政公の銅像があります。

駅前通りをまっすぐ行った突き当たりに彦根城のふもと、滋賀県の護国神社があります。

お堀の幅は、30メートルはあるでしょうか。江戸時代には、このような堀が3重にめぐらされていたというのですから、城を攻める側にとってはたまりません。やる気がなくなります。

石垣は、自然石をほぼそのまま利用した野面積みなので、古い時代のものです。彦根城の石垣は築城当初の古いものから加工された新しいものまで、場所によって違いがあります。

城の周りにはいくつかの庭園があり、テニスコートや多目的グラウンドもある金亀公園になっています。

 

天守閣へ

彦根城は平山城で、小高い山の上にあります。天守閣へ向かう階段は、攻められたときにリズムよく登れないように高さや幅が微妙に変えられています。いろいろ考えて作られているのがわかります。

上る途中には櫓門(やぐらもん)がいくつか配置されています。ここで敵の足を止めて攻撃したり上から石を落としたりするためです。天秤櫓は櫓門としては最大級のものです。

櫓門の中にも、見学できるところがあります。門の上に建物が張り出しているところから石を落とし、石がなくなると煮立たせた油、油もなくなると糞尿を落としたといいます。絶対に攻めたくない城です。

彦根城は1600年の関ケ原の戦いで徳川家康が天下を取ったあとに着工しました。天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築されました。20年にわたる工事で、城郭の完成は1622年とされています。築城にあたった井伊直政の養母が女城主と言われた井伊直虎です。 直政の息子、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、大きな功績を上げました。

また、彦根城は現存12天守のなかでも古く、国宝5天守のひとつです。天守の他にも天秤櫓や大手門櫓、馬屋など重要文化財が残り、姫路城、弘前城に次いで現存建物が残っています。

時間帯によってはひこにゃんに会えます。

なぜ彦根城のゆるキャラが白いネコなのかというと、このネコのモデルは東京・世田谷の豪徳寺の招き猫だそうです。彦根藩主2代目の井伊直孝が、江戸で見かけた招き猫につられて豪徳寺へ入ったことで、雷雨から逃れたという逸話から、幸運のネコとしてモデルになり、井伊家赤備えの兜をかぶってひこにゃんが誕生したそうです。

井伊家といえば徳川四天王のひとりで彦根藩祖の井伊直政や幕末の大老井伊直弼が有名ですが、実は直政の次男・直孝は非常に優秀な人物でした。家康亡き後、伊達政宗が「家康との約束」として突きつけてきた50万石の加増文書に幕府が困り果てる中、ひとりで政宗と対面し文書を破り捨て、政宗を説き伏せたといいます。

さらに3代家光の時代、朝鮮が大飢饉で救援を求めてきたとき、送る米を通常通り石高で表すところをひとりだけ船の数で表せと言い張りました。もし石高でいうと、今後同様のケースがあった時、それが基準になってしまうため、もし日本が不作の時に減らしにくくなる。船なら大小があり調節できる、と言って、みんな従いました。外交力と交渉力の高さが伺えます。

大津城から移築された天守閣は1層目に3つの千鳥破風を組み合わせ、2層目に曲線の唐破風が配置されている、他のお城にはない独特の優雅な印象です。大津城はもう一層高かったようですが、おそらく大津城の優美さがほぼそのまま再現されていると考えられます。関ヶ原の合戦時に西軍を大津で足止めした京極高次と妻のお初がここに立てこもり命がけで徹底抗戦していたかと思うと胸が高鳴ります。

天守から南側には湖西の山々が見えます。

西側は琵琶湖、その先には比良山系の山脈も見えます。ぽつんと小さく、多景島も見えます。

琵琶湖は竹生島と沖島の他に多景島もフェリーで渡れます。彦根港からオーミマリンで、12月から2月の冬季を除いて観光できます。

戦国から江戸にかけての井伊家、並びに徳川家康ともゆかりが深く、大河ドラマ紀行にも登場する彦根城ですが、『本能寺ホテル』や『プリンセス・トヨトミ』、『タイムスクープハンター』など、歴史ものの映画やテレビドラマの撮影にも頻繁に利用されています。

大河ドラマで印象的だったのは、平成18年に放送された山内一豊とその妻・千代が主人公の時に出てきた井伊直政。徳川四天王として勇ましい武功面より外交によって解決する交渉力がよく描かれていました。

彦根駅はローカル線の近江鉄道もあり、近江八幡までは近江鉄道の小さな電車でゆっくり移動するのも、情緒があっておススメです。

◆彦根城
住所:〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1-1
電話番号:0749-22-2742
公式サイト:https://hikonecastle.com/

◆近江鉄道オーミマリン多景島クルーズ
公式サイト:https://www.ohmitetudo.co.jp/marine/cruise/takeshima/

 

まとめ

大津籠城戦を終えた京極高次は、「守り切れなかった」と言って即刻髪を落とし、そのまま高野山へ向かいました。関ヶ原で徳川家康が勝ったことを知らなかったのです。

数日後、大津へ来た家康は京極高次の行動に驚き、すぐに井伊直政を高野山へ派遣しました。京極高次の功績に感謝した家康は、ボロボロになった大津城で一夜を明かしたともいわれています。

そして家康と直政は縁起の良い大津城をそのまま彦根城に移築することを決めました。さらに、明治時代の廃城令で全国のお城が解体される中、たまたま彦根城に立ち寄った明治天皇の「これは素晴らしい」というひと言で、彦根城は残されることになりました。

彦根城を今私たちが見られるのは、奇跡といえるかもしれません。

次回は滋賀県屈指の歴史スポット、近江八幡市を訪問。「尾張の大うつけ」と呼ばれながらも、戦国の三英傑に輝いた、あの人物の生きざまに迫ります。

この記事を書いた人
かのまお
放浪ライター。年の半分は福井や滋賀など関西~北陸を中心に放浪しています。尊敬する人は山下清。小説も出版してます。

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