近江八幡・八幡堀めぐり/時代劇のような街並みで歴史旅を満喫
かつて織田信長が築いた安土城の城下町として発展し、現在では数々の史跡や、歴史情緒あふれる美しい街並みが残る滋賀県・近江八幡市。
街中には旧市街から琵琶湖へと続く“八幡堀”という水路が敷かれており、江戸時代には人や物、情報の交易地として利用されていました。
今回は、いまや近江八幡を代表する観光名所として人気の「八幡堀めぐり」と、近江八幡随一のパワースポット「日牟禮八幡宮」をご紹介。
当時の面影を色濃く残す、趣ある街並みと共にお愉しみください。
目次
近江商人の氏神様「日牟禮八幡宮」参拝へ
JR近江八幡駅から近江鉄道湖国バス・長命寺線に乗ること約10分。9つ目の「八幡堀八幡山ロープウエー口」が、最初の目的地「日牟禮八幡宮」から最寄りのバス停となります。
バス停から南西に向かって歩き、米菓店「長五郎せんべい」の前を右折すると、目の前に現れるのは総高8.8mにも及ぶ巨大な木造建築の鳥居。柱頭に台輪を載せ、笠木の上に屋根を設けた、非常に珍しい造りをしています。
鳥居の前には「山の上ホテル」や「大丸心斎橋店本店」など、日本に1,600以上もの名建築を遺したウィリアム・メレル・ヴォーリズの「白雲館」があります。和洋の建築様式を織り交ぜた独自のスタイルが、圧倒的な存在感を見せていますね。
鳥居をくぐったら、本殿へと続く「白雲橋」を渡りましょう。橋上からは、観光客の訪れを待つ「八幡堀めぐり」の遊覧船を見ることができます。
美しい緑に囲まれた参道を抜けると、精緻な彫刻が施された楼門が現れました。
設立当初、楼門の彫刻を手掛けたのは、江戸時代初期に活躍したとされる伝説的名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)。かの有名な「日光東照宮」の眠り猫や「上野東照宮」の竜の作者です。左甚五郎の彫刻は残念ながら安政2年(1855年)に焼失してしまいましたが、現在もその風格は健在。猿の彫刻が施されたこちらの楼門をくぐると、「災難が“去る”」と言われています。
地元で古くから“八幡(はちまん)さん”として親しまれているこの場所は、第十三代成務天皇が高穴穂(たかあなほ)の宮に即位された際、当時の大臣であった武内宿禰(たけうちのすくね)に命じ、地主神であった“大嶋大神”を祀られたのが始まりであると伝えられています。
その後、近江商人の守護神として崇敬を集めたことから、商売繁盛のご利益があると評判に。慶長5年(1600年)には徳川家康が関ヶ原の戦いの後に参拝。武運長久を祈願し、御供領五十万石の地を寄付したことが伝えらえれ、将軍家からの崇敬が篤かったこともわかります。
近江八幡参拝の際に、ぜひ訪れていただきたいのが、神社本殿裏にある「鏡池」。こちらの池は嘘や偽りの心を持つ者が水面に顔を映すと、池に落ちてしまうと言い伝えがあります。鏡池の後ろに見える大岩は、「鏡岩」、または「屏風岩」と呼ばれ、“神坐を護る岩”として崇められています。一見するとわかりにくい場所にあるので、じっくり探してみてくださいね。
楼門のすぐそばに鎮座するのは、老松の絵が印象深い木造入母屋造りの「能舞台」。こちらでは舞台の新築に合わせ、「日牟禮八幡宮」ゆかりの能楽『日觸詣(ひむれもうで)』の制作を観世流に依頼。明治32年(1899年)、その初演が行われた場所として能楽ファンの聖地となっています。以来長らく公演は行われませんでしたが、平成5年(1993年)、実に93年ぶりに薪能が披露されました。
日牟禮八幡宮では本殿の他にも、天照大神の荒御魂を称え奉った「岩戸神社」や学問の神様・菅原道真を祀る「天満宮」など、9つの末社がございます。神聖な空気を感じながら、1800年以上の歴史を持つ日本屈指の古社をゆっくり巡ってみてくださいね。
◆日牟禮八幡宮
住所:〒523-0828 滋賀県近江八幡市宮内町257
電話番号:0748-32-3151
営業時間:8:00~17:00
定休日:年中無休
公式サイト:https://himure.jp/
近江の歴史と季節を愉しむ名物・八幡堀めぐり
「日牟禮八幡宮」での参拝を終えたら、次の目的地・八幡堀巡りの乗船場へ参りましょう。
近江八幡では、ヨシ原の中を船で進み大自然を愉しむ水郷めぐりと、八幡堀の中を進み歴史ある街並みを愉しむ八幡堀めぐりがあります。今回ご案内するのは、後者の“八幡堀めぐり”。昔ながらの和船に乗りながら、城下町を巡る八幡堀を約35分かけて、ゆったりとまわります。
「日牟禮八幡宮」から乗船場へは、徒歩3分ほどで到着します。楼門を出たら左に曲がり、滋賀の人気和菓子店「たねや日牟禮乃舎」から「かわらミュージアム」へと続く道をまっすぐ進みましょう。道中、右手に「ほりかふぇ」と「お食事処 和でん」という2つのお店が見えてきます。その裏側に回り、階段を下った先に、乗船場があります。
今回乗船するのは、最大12名まで乗り込める遊覧船。青空を思わせる衣装に身を包んだ船頭さんが、温かく出迎えてくれます。
20分ごとに出航する遊覧船は、予約優先。その他の方は先着順となっています。大人数でのご旅行や他に立ち寄りたい場所がある方は、事前に予約していくことをおすすめします。
こちらの遊覧船には、ワンちゃんも同乗OK!抱っこできるワンちゃんは無料、抱っこできないワンちゃんも乗船料1,000円で一緒に八幡堀めぐりを愉しめます。ワンちゃんはオムツの着用が必須になりますので、乗船を希望される方は忘れずにお持ちください。
ちなみに船内は土足厳禁。また、屋根が低く造られているので、乗船の際にケガをしないよう、ご注意くださいね。
「ドゥルン」という軽快なエンジン音と共に、いざ出航。船内を通り抜ける風が心地よく、目の前には鮮やかな新緑のトンネルが広がります。
岸辺に見える城壁の建物は、旧家や土蔵。中でも土蔵は、かつて全国各地から運ばれてきた物産を一時保管していた歴史があり、まさに近江商人を象徴する建造物です。
水上からは標高271.9m・八幡山城の城跡が遺る「八幡山」、明治時代レンガを焼く施設として日本の近代化に貢献した「ホフマン窯」、子供を水難から守り美しい水を保つ“水神”として親しまれた「河童の社」など、貴重な風景や建築物を愉しむことができます。
特に白雲橋から明治橋へと続く風情ある街並みは、時代劇のロケ地としても有名。『水戸黄門』や『銭形平次』、『暴れん坊将軍』など、年間を通じて様々なドラマや映画の撮影が行われました。
遊覧船の乗船口にある、船を橋桁にした浮き橋もロケ地のひとつ。昭和天皇が視察に来られたというこの橋は、大ヒット作『るろうに剣心』の撮影地として知られています。
また、八幡堀でもうひとつ注目いただきたいのが、季節の花々。岸辺には巨大な桜の木が連なり、春には船上からのお花見を愉しめます。
初夏にはあじさいやアヤメ、秋には紅葉と、四季折々多彩な植物を鑑賞できるので、どの季節に訪れても絶景をご堪能いただけます。
写真がお好きな方は、リフレクションにもご注目。目の前に広がる風景と水面に映る幻想的な世界をカメラに収めることができますよ。
◆八幡堀めぐり 乗船場
住所:〒523-0821 滋賀県近江八幡市多賀町743
電話番号:0748-33-5020
営業時間:10:00~16:00 ※冬季は天候により最終時間が早くなることがあります。※天候などにより運行が中止になる場合がございます。
定休日:年中無休
料金:大人 1,500円/小人 1,000円 ※小学生未満無料、ただし席確保する場合有料。
公式サイト:https://www.oumi-waden.com/ship
埋め立ての危機から一転、「八幡堀」を観光資源に
それではここで、八幡堀が歩んできた歴史を紐解いてみましょう。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の甥・豊臣秀次は、八幡山に城を築き、街を開きました。その際に誕生したのが、八幡堀。秀次は八幡堀と琵琶湖をつなぎ、湖上を行き来する船を城下内に寄港させることで、人や物、情報の集積地へと発展させ、城下を大いに活気づけました。
戦の時代が終わり、幕府が江戸に遷移して以降も、人々の暮らしを支え続けた八幡堀。しかし交通網の発達や生活場所の変化により、次第に堀を利用する機会が減少。人の手が入らなくなった八幡堀は荒廃し、水底にたまったヘドロや度重なる不法投棄の影響で、公害源として疎まれ、ついには地元住民より駐車場や公園への改修工事が望まれるようになりました。
これに異を唱えたのが、近江八幡青年会議所の人々。昭和47年(1972年)、「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合言葉に、市民へ改修工事の撤廃と八幡堀の復元を呼びかけました。さらに昭和50年(1975年)からは、会員自ら堀の自主清掃を開始。「この町で生涯を終えることに、後悔しないような街にしたい」との信念を掲げ、『死に甲斐のあるまち』をコンセプトに、活動を進めていきました。
最初は青年会議所の活動に反発し妨害行為をしていた市民たちも、日に日に会員たちの熱意に打たれ、清掃活動に参加するように。同年9月、すでに改修費用として計上されていた予算を国に返納し、八幡堀の存続が決定しました。
窮地を脱した八幡堀は現在、「八幡堀を守る会」、観光ボランティアガイド協会など、多くの人々の努力に支えられ、滋賀の一大観光地となっています。
近江商人ゆかりの地・近江八幡で、歴史の足音に耳を澄ませて
戦国時代、商いと物流の要所として人々を支えてきた近江八幡。楽市楽座令が敷かれた当時の活気は落ち着いたものの、現在では地元の方たちを中心に、古き良き風景を生かした新たな街づくりが行われています。
GFC奥琵琶湖レイクシアにお越しの際は、地元を思う心が息づく町・近江八幡に、ぜひ足を運んでみてくださいね。