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湯の山スパシア周辺情報

伊勢の東の玄関口・桑名でふたつの“華”めぐり【後編】

鈴鹿山脈と養老山脈に囲まれ、豊かな自然に恵まれた三重県桑名市。市内には多くの商店街が残っており、昔ながらの風情ある街並みを愉しむことができます。

今回は前編に引き続き、桑名の“華”にまつわる観光スポットをご紹介。GFC湯の山スパシアからも程近く、心地よい時間を味わえる桑名の名所めぐりをご体感ください。

※4月27日取材時点の情報です。

 

【九華公園】百花繚乱・四季折々の花が彩る憩いの場

六華苑から揖斐川沿いに歩き、八間通りを抜けること約15分。舟入橋を挟み、ふたつの区画に分かれた九華公園に到着しました。

園内に入ると出迎えてくれるのは、満開のツツジの花!九華公園は桑名随一の花の名所として知られており、4月下旬~5月には500本を超えるツツジの花が見頃を迎えます。

こちらで観られるのは、300以上の品種があると言われるヒラドツツジと、大輪の花を咲かせるオオムラサキツツジ。どの木も背丈ほどの大きさに成長しており、まるでツツジの森に迷い込んだかのよう。赤やピンク、白などカラフルな花が咲き誇り、桃源郷を思わせる美しさです。

九華公園では毎年5月にツツジ祭りが開催され、例年多くの見物客が訪れるのだとか。色とりどりのツツジを眺めながら園内を散策したり、お弁当を広げてピクニックを愉しむのも良いですね。

九華公園はツツジの他に、桜や花しょうぶの名所としても有名。特に桜の時期は、船で優雅にお花見を愉しむイベントも人気を博しています。

九華公園のもうひとつの見どころは、中国の宮廷を思わせる造りが素敵な橋や東屋。朱色の柱や欄干が青空に映え、フォトジェニックな写真を撮ることができます。また、公園のあちこちにある水場も、撮影ポイントのひとつ。水面にツツジの花が映り込み、もうひとつの世界が浮かび上がるリフレクションがきれいと評判です。

◆九華公園
住所:〒511-0032 三重県桑名市吉之丸5-1
電話番号:0594-21-9932
公式サイト:https://www.city.kuwana.lg.jp/asset/kouen/kyuka.html

そもそも、なぜ九華公園には水場が多くあるのでしょうか。その答えは、九華公園が造られた“場所”にありました。

 

【桑名城】名将・本田忠勝が人生を歩んだ夢の跡

九華公園が整備されたのは昭和3年(1928年)。この年は、第5代桑名藩主・松平定信の没後100年にあたります。当時の桑名町はこれを記念し、松平氏の居城であった桑名城の跡地に注目。約7.20ヘクタールという広大な敷地を活かし、桑名城の本丸と二の丸一帯を“九華公園”へと生まれ変わらせました。大きな池のように見える水場も、実は桑名城を囲む堀であることを示しています。

桑名城の初代城主は、徳川四天王のひとり・本田忠勝。関ヶ原の戦いを始め、数々の戦で功績をあげ、その実力は主君・徳川家康はもちろん、敵の武将からも称賛されるほど。桑名藩政にも力を入れ、桑名城の改修や東海道宿場の整備を行いました。九華公園には櫓(やぐら)や石垣、堀など、桑名城が存在した当時の歴史を物語る建造物がいくつも残っています。

◆蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)

『東海道五十三次』の42番目の宿場町として大変な賑わいを見せた七里の渡しに面して建つ、桑名城のシンボル。歌川広重の浮世絵でも「海上の名城」と謳われた桑名を表現するため、こちらの蟠龍櫓が象徴的に描かれています。現在1階は水門管理所、2階は展望台兼資料室となっています。

◆辰巳櫓

元禄14年(1701年)の大火で焼失した桑名城天主の代わりに使用された辰巳櫓。戊辰戦争で桑名藩が新政府軍に降伏した際、降伏の証として焼き払われることとなりました。現在跡地には大砲が置かれていますが、その理由は明らかになっていません。

◆鎮国守国神社

第5代桑名城藩主・松平定綱を祖神(おやかみ)として祀る神社。のちに“寛政の改革”で知られる江戸幕府老中・松平定信も祀られるようになり、地元では“鎮国さん”“守国さん”という愛称で親しまれています。現在は九華公園内に置かれ、いまなお地元の人々から崇敬を集めています。

◆桑名城 天守台跡
住所:〒511-0032 三重県桑名市吉之丸5-1
公式サイト:http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,11219,234,410,html

桑名城は全国でも規模の大きい城として知られており、多数の櫓が建造されました。その数は、なんと51基!他にも井戸が14本、水門が3基も設けられていました。なぜ桑名城がここまで重要視されていたか。最後の章では、その秘密に迫ります。

 

【七里の渡し跡】商業と文化の要を担った桑名の象徴

前編でご紹介した「六華苑」と今回ご紹介した「九華公園」の間に位置する七里の渡し跡。つい見逃がしてしまいそうな場所にありますが、実は桑名の歴史において、非常に重要な場所となっています。桑名市観光を締めくくる場所として、最後にこちらをご紹介します。

本田忠勝が初代藩主に任命されたのは、1601年。徳川家康が江戸幕府を開く2年前です。このころ大阪城には豊臣秀頼がおり、家康は西への備えとして忠勝を桑名に配置しました。

当時桑名は陸・川・海のルートを併せ持つ交通の要衝となっており、流通の拠点としても室町時代から商業が発達していました。その重要性を感じていた家康は東海道を整備する際、42番目の宿場として“桑名宿”を制定。41番目の“官宿”(現在の愛知県名古屋市熱田区)と東海道唯一の海路である“七里の渡し”で結ぶこととなりました。

また、桑名を起点に伊勢路に入ることから、現在“七里の渡し跡”には、伊勢国一の鳥居が置かれています。近代以降、鳥居は20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮ごとに、内宮入口にある宇治橋の鳥居を移して建て替えられています。

◆七里の渡跡
住所:〒511-0011 三重県桑名市東船馬町
公式サイト:https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/miru/kankospot/kanko009.html

 

【まとめ】次のご旅行は、大人の知的好奇心をくすぐる桑名観光へ

今回の旅では、“華”をキーワードに、伊勢の東の玄関口・桑名をめぐりました。かつて交通と商業の要衝として栄えたこの町は、いまなおその歴史を大切にしながら、新たなる発展を遂げています。

GFC湯の山スパシアからは車で約25分、電車で約1時間とアクセス便利な場所にありますので、三重県にお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。

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