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奥琵琶湖レイクシア周辺情報

【忍者の里】滋賀・甲賀の旅行で訪れたいおすすめ歴史スポット

滋賀県南部にある甲賀市は「忍者の里」として知られており、甲賀流忍術の発祥地です。四方を山に囲まれた盆地で、豊かな自然にあふれ、関西圏と中部圏をつなぐ交通拠点といえます。

歴史的には、およそ1,250年前の奈良時代中頃、現在の滋賀県甲賀市信楽町に聖武天皇が造営した都・紫香楽の宮(しがらきのみや)がありました。

今回は自治体が運営する甲賀忍者の紹介施設や体験スポット、さらに日本有数の庭園や国指定重要文化財をご紹介いたします。

 

忍者を紹介する無料施設~甲賀流リアル忍術館

GFC奥琵琶湖からは、北陸自動車道の木ノ本インターから名神高速道路の蒲生スマートICで降り、下道で南下します。およそ95キロ、1時間20分ほどです。

GFC湯の山からは、新名神高速道路の菰野ICから甲南ICで降りまもなく、およそ50キロ、40分ほどです。

市が運営する甲賀市甲南情報交流センターに入っている「甲賀流リアル忍術館」では、主に戦国時代から江戸初期にかけて活躍した甲賀忍者の成り立ちから生活・生態までをリアルに知ることができます。

甲賀忍者をテーマとした展示や体験コーナーがあり、甲賀市の観光情報も提供しています。

甲賀忍者は、現在の滋賀県甲賀市と湖南市を含む旧甲賀郡を中心に活動していた忍者集団です。

甲賀忍者は、普段は農業をしたり、行商をしたりして各地の情報を探る一方、クライアントである大名や武将などから指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んでいました。戦国時代の戦に動員される兵隊や足軽はほとんどが農民で、農家の次男・三男でした。忍者でも事情は同じです。

山一つ挟んだ三重県伊賀市には伊賀忍者と呼ばれる忍者集団が同時期に活躍し、全国的にも有名です。甲賀忍者と伊賀忍者はドラマやアニメでは宿敵やライバルなどといわれることも多いですが、実際には仲が悪かったわけではなく、天正伊賀の乱などのピンチには協力関係にあったともいわれています。

なぜ甲賀市や伊賀市に忍者が多いかというと、それは地形的条件です。山に囲まれた盆地で、周りから攻められにくく、隠れ里のようになっていました。そうなるとその中で小さな戦闘集団ができ、常に対立する緊張状態ができます。その中で必要になった奇襲や諜報、情報収集が磨かれていったと推測されます。

また、山には平安時代から山伏という修行者がいますから、そこから忍者へとつながりやすいといえます。行動範囲がより広くなった戦国半ば頃から、戦場諜報の技術を身につけ、草や池に潜んだり放火をしたり遠く敵地へ潜入して敵情を探るという能力も互いに磨きあったことでしょう。京都の権力の内情にも明るかったかもしれません。そういう知識が諸国の大名に役立ったのでしょう。

実際に着用されていたと考えられる忍者のコスチューム。赤や黄色などの原色は目立つので、このようなカラーとスタイルだったようです。

歴史学者の磯田道史さん監修で時代検証を行った結果だそうです。

◆観光インフォメーションセンター甲賀流リアル忍者館(忍の里プララ甲南情報交流センター内)
住所:〒520-3311 滋賀県甲賀市甲南町竜法師600 忍の里プララ内
電話番号:0748-70-2790
利用時間:10:00~16:00
入館料:無料
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12月29日~1月3日)
駐車場:157台(バス駐車場有:要予約)
公式サイト:https://www.real-ninjakan.com/

 

驚きの仕掛けを体験~甲賀流 忍術屋敷

甲賀流忍術屋敷は、甲賀望月氏本家旧邸をそのまま利用しています。観光用として移築や復元・リフォームされたものでなく、当時のまま今に残る甲賀忍者が住んでいた本物の建造物です。実際に使われていた道具などが展示されているだけでなく、忍者屋敷で実際に使われていた巧妙な仕掛けを、自由に見て触れたり体験できる施設です。

襖の奥や壁の戸に背中を付け、少し力を加えると回転するだまし扉は、閉じている普段は回転するように見えず、一見普通の襖・壁です。隠れている忍者を探そうとするとすべての壁を押して確かめなくてはなりません。

からくり窓は、一見すると開くように見えない嵌め殺しの格子窓ですが、スライドさせると開くしくみの窓です。 敵襲があればそこから逃げれば消えてしまったように見えます。

手裏剣道場では、実物の手裏剣を投げることができます。

2階へはかくし梯子を使って上がるようになっており、天井の高さは1メートルほど、高いところでも1.5メートルと非常に低く作られており、敵が刀を振り回せない空間になっています。一方、忍者は刀身が短い忍者刀を使用して戦えるよう作られています。

この忍者屋敷には、徳川家康が泊まった可能性があります。本能寺の変後の伊賀越えの際です。近くの同じ忍者屋敷・多羅尾家かこの望月家かどちらかだったようです。

いずれにしても甲賀と伊賀の忍者たちはその恩によって江戸に迎えられ代官に取り立てられたといいます。ただ、そこは賢い家康のこと、実際は彼らの特殊技能を独占するためではないかと考えることもできます。東京に今も残る半蔵門をはじめ四谷や千駄ヶ谷の甲賀町や伊賀町もその名残りです。

◆甲賀流 忍術屋敷
住所:〒520-3311 滋賀県甲賀市甲南町竜法師2331
電話番号:0748-86-2179
利用時間:9:30~17:00 (入館は16:30まで)
入館料:大人(中学生以上) 650円、小人(3歳以上)450円
休館日:毎週水曜日及び第4木曜日
公式サイト:https://www.kouka-ninjya.com/

 

小堀遠州渾身の名庭園~大池寺

甲賀市水口の大池寺は、甲賀リアル忍術館や忍術屋敷のあるエリアから北へ車で20分ほどです。

大池寺は、今からおよそ1250年前、奈良時代・天平年間(729〜784)の僧、行基菩薩によって開山されたと伝わります。行基とは東大寺の大仏造立を進めた人物です。

本堂は湖国甲賀三大仏のひとつ、釈迦如来座像が御本尊です。行基菩薩作と伝わる丈六坐像の木彫で約8尺の大仏像です。丈六坐像とは仏像が立ち上がったら1丈6尺(約5メートル)を超えるサイズのことで、座っていても8尺(約2.5m)あります。

蓬莱庭園は奥書院の庭になります。

この蓬莱庭園はおよそ400年前の江戸初期に小堀遠州の作として伝えられています。作庭家・小堀遠州は近江国小堀村(現長浜市)で生まれ、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸幕府の作事奉行や伏見奉行を務めました。

茶人でもあり、千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎました。江戸時代には徳川将軍家の茶道指南役となり、武家茶を確立しました。作庭の代表作には「二条城二の丸庭園」や京都仙洞御所などがあります。室町時代から現在までのおよそ800年間で見ても日本一の作庭家と称されるほどの人物です。

こちらの蓬莱庭園は鑑賞式枯山水庭園です。このような庭園は通りいっぺんの解釈が似合わないものですが、奥側の二段刈り込みと左右の大刈り込みは大洋(海)の大波小波を現し、白砂が海面、その上に楕円形の刈り込みを以て宝船を浮べ中に七つの石と小さな刈り込みで七宝と七福神を表すとしています。

◆蓬莱庭園 臨済宗妙心寺派 大池寺
住所:〒528-0035 滋賀県甲賀市水口町名坂1168
電話番号:0748-62-0396
利用時間:9:00~17:00(冬期は16:00まで)
拝観料:大人400円、中学生300円、小学生200円
定休日:12月25日~1月1日午前中、8月11日~8月17日
公式サイト:https://www.sunalix.co.jp/daichiji/index.html

 

本来の神さまの空気感~油日神社

油日神社は、甲賀市街地から南東、伊賀市との境にあります。新名神の甲南ICからも甲賀土山ICからも約20分です。

霊峰油日岳をご祭神とし、創建ははっきりしていませんが少なくとも1300年以上前といいます。楼門をはじめ回廊、本殿、拝殿がすべて檜皮葺き、国指定重要文化財です。しかしその割には、観光化されていません。売店もなく、ただ自然の中に溶け込んでいます。

神社建築では全国的にも珍しい回廊タイプ、滋賀県内ではここだけです。

樹齢750年を超えるコウヤマキとともに、静かに時間が流れます。油日神社には派手な演出はありませんが、きっと、古来の神社とはこのような雰囲気なんだろうなと思えるものがあります。

◆油日神社
住所:〒520-3413 滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
電話番号:0748-88-2106
定休日:年中無休
公式サイト:https://www.aburahijinjya.jp/index.html

 

忍者と自然の街、甲賀

甲賀市は琵琶湖からは離れていますが、甲賀忍者をリアルに体験でき、自然も豊かな街です。

リアル忍術館と甲賀流忍術屋敷は近く、大池寺や油日神社も、GFC奥琵琶湖からは1時間から1時間30分ほど、GFC湯の山からは30分から1時間で行けます。

忍者を通して日本の歴史も学ぶことができます。ぜひ訪れてみてください。

この記事を書いた人
かのまお
放浪ライター。年の半分は福井や滋賀など関西~北陸を中心に放浪しています。尊敬する人は山下清。小説も出版してます。

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