【忍者の里Ⅱ】三重・伊賀の旅行で訪れたいおすすめ歴史スポット
三重県伊賀市は滋賀県甲賀市とともに「忍者の里」として知られており、伊賀流忍術の発祥地です。
伊賀市は、古来より都(飛鳥・奈良・京都)に隣接する地域として、さらに交通の要衝として、江戸時代には藤堂家の城下町や伊勢神宮への参宮者の宿場町として栄えてきました。伊賀忍者とは、現在の三重県伊賀市と名張市で生まれ発達した忍術流派です。忍術や戦闘を得意とし、多くの戦いで活躍したと言われています。
今回は伊賀忍者の忍術紹介施設や体験スポット、さらに戦国の重要拠点・伊賀上野城などをご紹介いたします。
伊賀流忍者博物館~忍者を学べる
伊賀流忍者博物館は、三重県伊賀市の上野公園(伊賀上野城)内にある忍者をテーマにした博物館です。戦国時代や江戸時代に情報収集を専門に活動した伊賀忍者の歴史や生活の知恵などを学ぶことができます。
GFC湯の山スパシアからは、新名神高速道路や名阪国道を経由しておよそ60キロ、1時間ほどです。駐車場は上野公園駐車場(有料)があります。
博物館には、忍者が住んでいた仕掛けカラクリのある「忍者屋敷」や、忍者が使っていた道具や武器を展示している「忍術体験館」、忍者の生活を紹介する「忍者伝承館」、忍者が忍術を実演している「忍術ひろば」などがあります。
忍者屋敷は江戸時代末期の土豪屋敷を移築して復元されたもので、茅葺きの外観で内部には敵の攻撃に備えてさまざまな仕掛けが隠されています。屋敷内では「どんでん返し」や「仕掛け戸」「隠し階段」などのカラクリについても学ぶことができます。
主にくノ一と呼ばれる女性の忍者がさまざまなカラクリを実演を交えて案内してくれるほか、実演や解説を見学したり体験したりすることもできます。忍者と言えばお子様や海外から来られた方が喜びそうなイメージがありますが、大人でも愉しく遊べます。
忍術体験館では、忍者の代表的な武器である「手裏剣」など、当時使われていた忍具や資料を400点以上展示しています。
忍者伝承館では、忍者の古文書が解き明かされ、九字法・人相学など現代でも役立つ忍術が紹介されています。
伊賀忍者は、普段は農業や行商をして各地の情報を探り、指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励みました。有名な徳川家康の「伊賀越え」では家康の逃亡を助けたと言われています。
また、伊賀忍者は呪術と火術を得意としていたと言われています。伊賀忍者には、支配者階級として「百地」「藤林」「服部」という名門の3家があります。百地は2023年の大河ドラマでも登場しました。服部家が伊賀を代表する名門とされています。
江戸時代、藤堂藩の時代になると、忍びと呼ばれた人々の子孫は「伊賀者」として、参勤交代の際の藩主の護衛役や国内の情報収集にあたったり、各村の自治を任されたりしました。
伊賀流忍者博物館の隣には、国指定重要文化財の拝聖殿があります。伊賀に生まれた松尾芭蕉の生誕300年記念として1942年に建てられたものです。
上層が円形屋根、下層が八角形でどちらも檜皮葺きの多宝塔形式で珍しい和風建築です。
◆伊賀流忍者博物館
住所:〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内117
電話番号:0595-23-0311
営業時間:9:00〜17:00(入館受付は16:30で終了)
休館日:12月29日〜1月1日
料金:入館料|大人800円(700円)、小人500円(400円)・忍者実演ショー|1人500円(400円)(休演日あり 要事前確認)
公式サイト:http://www.iganinja.jp
伊賀上野城~藤堂高虎の名城
伊賀流忍者博物館から頂上への登坂をいくと、伊賀上野城があります。上野盆地の中央にある小高い丘に建てられた平山城です。
伊賀上野城は、戦国末期の城です。
織田信長は「天正伊賀の乱」にて伊賀を鎮定すると、この国を家臣の滝川雄利に治めさせました。はじめの上野城は、雄利が築いたものです。
現在の天守閣は昭和10年(1935年)に建てられた復興天守です。正式名を「伊賀文化産業城」と言います。
三層からなる天守閣には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ名士の色紙46点の天井絵があります。外観の白い三層の美しい城郭から「白鳳城」とも呼ばれています。
伊賀上野城は、昭和42年(1967年)に旧城域一帯が国の史跡に指定されています。天守は昭和60年(1985年)3月18日に伊賀市有形文化財に指定されました。
伊賀上野城は初代滝川雄利の後、あわただしく城主が何代もかわりました。脇坂氏、筒井氏、次いで藤堂氏でした。
徳川家康が大坂城の豊臣秀頼を攻める計画を立てたとき(いわゆる大坂の陣)、万一敗北した場合の手当もしておきました。その場合、嫡子の秀忠を近江彦根城まで後退させ、自分はこの伊賀上野城に後退して、攻撃再開の準備をするつもりでした。その秘策も藤堂高虎に明かし、高虎に堅固な城を造らせました。家康は高虎を信頼していたのです。
高虎は豊臣家の大名で家康にとっては外様大名でしたが、秀吉健在の頃から家康に接近していました。そして家康から、豊臣家の内情を探るなどの高等諜報の仕事を任されました。
高虎は、信頼されたことを喜び、五層の天守閣という、伊賀のような小国には大きすぎるものを造りました。完成したのは慶長17年(1612年)9月2日で、大坂冬の陣の2年前でした。
ところが完成と同時に、高虎が密命を出してこの天守閣は取り壊されました。大工はもちろん藤堂家の家臣も理由は知らされず、従って後世の我々には、なぜ出来たばかりのものを壊したのかという資料も残されていません。
また、この時期の伊賀上野城に関する史実は曖昧で、取り壊したことさえ事実かどうかも諸説があります。もし取り壊したとすれば、察するに、家康か秀忠の側近筋から、高虎に対し、「伊賀は小国ながら京・大坂の裏にあたり、天下政略にとって大切な国である。そういう所に大きな天守閣をもつ城を造るというのは、高虎殿になにか思惑があるのではないか」 というような声か、噂があったかもしれません。
藤堂高虎という人物はその勇猛そうな名前に反し保身に鋭敏な人物です。
天守からは伊賀を取り囲む山々まで見渡せます。
ちなみに、隣接する上野高校は歌手の平井堅氏が卒業しています。
日本有数の高さの石垣も有名です。フェンスなどの障害物もなく、ギリギリまで行けてかなりスリルがありますが、本当に落ちそうなので注意が必要です。
◆伊賀上野城
住所:〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内106
電話番号:0595-21-3148
営業時間:9:00〜17:00(入館は16:45まで)
休館日:12月29日〜31日
料金:大人600円、小人300円
公式サイト:http://igaueno-castle.jp/
独特メニューで人気の忍者食堂~弐鶴
伊賀上野城がある上野公園から歩いてすぐのところに伊賀鉄道の上野市駅があります。伊賀市の上野市駅は数年前に忍者市駅と改名しました。その駅前にある忍者食堂の弐鶴は、忍者をテーマにした食堂です。
大正6年創業、伊賀の食材を使った忍者メニューやオリジナルメニューがあり、メニューの数は100以上です。店内は忍者にこだわり、からくり要素も満載です。忍者グッズの販売も行っています。
観光客だけでなく地元の人たちも利用する人気の食堂です。平日でもランチタイムの時間帯は待ち時間が出るほどです。
伊賀の蔵元の清酒があるほか、伊賀産の食材(黒米)も使っています。伊賀米コシヒカリ、伊賀黒米うどん、伊賀牛肉と、地産食材にこだわっています。注目は 「忍者三昧」と銘打った忍者モチーフのメニューです。
『忍者定食』は、肉とじ、おかず、黒米めし、玄米うどん、味噌汁がセット。伊賀牛を使った『牛カツ定食』では、伊賀牛のカツ・おかず数品・黒米めし・みそ汁がついてボリューム満点です。
◆弐鶴(ニカク)食堂
住所:〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内42-9
電話番号:0595-21-1609
営業時間:昼の部 11:00~15:30 (L.O. 15:00)、夜の部 17:00~22:00 (L.O. 21:30)
定休日:毎週火曜日・毎月最終水曜日
アクセス:伊賀鉄道「上野市駅(忍者市駅)」から徒歩1分
公式サイト:https://www.iga-nikaku.com/
忍者文化が息づく町・伊賀市で、当時の歴史に思いを馳せて
伊賀市には、今回ご紹介したスポットの他にも忍者関連スポットがいくつかあります。
忍者衣装に着替え、手裏剣術道場などを愉しみ、市街地を散策して5カ所ある「忍者だまし絵」をSNSに「#伊賀忍者道場」を付けて投稿するとポイントアップして、伊賀忍者の認定を受けることもできます。
参考サイト:心・技・体 伊賀忍者道場
伊賀忍者が特に活躍した記録が残っているのは戦国時代ですが、忍者の実態を通して日本の歴史を深く知ることもできます。今でも伊賀市の郊外には忍者の末裔が住む家が残り、忍術や仕掛けの痕跡も残っているといいます。時には古文書が発見され研究者のあいだでは話題になることもあります。
隣接する滋賀県甲賀市と併せてぜひ忍者をめぐる旅をお愉しみください。